2004年6月 名古屋の絵のグループと北フランス・スケッチ紀行に出かけました。
連日 快晴に恵まれ、24枚のスケッチ、150枚の写真を楽しむことが出来ました。
セーヌ河より パリ ルーブル美術館を眺める
永井荷風は フランスをこんな風に 謳っています。
「ああ 自分は 何故 こんなにフランスが好きなのか。ああ 我がフランスよ! 自分は御身を見んが為にのみ、この世に生まれて来た如くに感ずる」
自分も随分久しぶりにフランスへやってきました。フランスの太陽は いつもまぶしく 輝いています。自分も このままパリのプチホテルに1月間ぐらい滞在し佐伯祐三の如く パリ裏町のスケッチにおぼれたいと夢みました。パリ は そんな誘惑を感じさせる雰囲気を持っている街です。
クロード・モネが描いた ルーアン大聖堂
1894年 クロード・モネは ルーアン大聖堂を30枚も描きあげて、
時間と共に変化する太陽の光の影を追い求めた。この大聖堂の中にて、シューベルトのアベマリアが歌われていました。素晴らしい独唱でした。私は思わず両手を合わせ 祈りの姿勢で聴きいりました。堂内に響きわたる美しい声に 次第に目頭が熱くなり この聖堂の高き位置より今は亡き家内がじっとこちらを見下ろしているような気がしてきて、涙が溢れ出てきました。神は本当に居る、そう信じた瞬間でした。
海の風 エトルタの海岸
1882年 クロード・モネは エトルタの海岸風景制作に没頭していました。
彼は際どいところで波にさらわれそうな 危険にも直面したそうです。当時のモネの心の中には、若くして亡くなった妻カミューユへの熱い思いが常にモネに重くしかかっていたに違いありません。この2月 紐育メトロポリタン美術館で モネの作品エトルタの海岸実物を観る機会があった。海の光が 美しく岸壁の下面に反射して、 赤や黄色がふんだんに使ってあるのが印象的でした。
モン・サン・ミッシェルの夕焼け
印象派の画家たちが求めていたのは 太陽の光、それも 強い色彩の輝くような瞬間でした。幸いにして 自分たちはモン・サン・ミッシェルの太陽が 英仏海峡に沈みつつある瞬間に立ち尽くすことが出来ました。印象派の画家たちが求めようとしていた光が 今 モン・サン・ミッシェルを美しく輝かせていると思うと思わず 強烈な色彩を 使いたくなってきて、強い色をぐいぐいと塗りつけた。
オン・フルールの港町
オン・フルール。なんて優しい響きであることよ。この港町 オン・フルールは町全体が「絵」になるこじんまりした 古い港町です。入江には ヨットや漁船が ひしめきあっています。この日の夕食は この町の古いレストランで ゆっくりと楽しみました。 ホワイトワインを片手に港町の風に吹かれながら 生がきや まき貝が実に美味しかった。この度のフランススケッチ旅行は 家内孝子が 僕にプレゼントしてくれたご褒美だったと思っています。「お父さん 本当に 長いこと有難う」しっかりと抱きしめながら 耳元でささやいた孝子の最後の言葉。この度 孝子は にっこり笑って 僕に素晴らしいプレゼントを贈ってくれたのです。
モンサンミッシェルをホテルの窓から見詰める |
マネも描いたエトルタの海岸 |
皆が描くオンフルールの漁村 |
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モネの睡蓮を生み出した、モネの池 |
この池からモネの傑作、睡蓮が生まれた |
モネの睡蓮の池を見るスケッチ仲間 |
オルセイ美術館のすごい1枚の裸体画 |
オルセイ美術館の大時計のあるレストラン |
オルセイ美術館屋上よりルーブル美術館 |
パリを見下ろすモンマルトの寺院 |
モンマルトの近くにあるムーランルージュ |
オルセイ美術館の一階展示室 |
最近火災となったノートルダム大聖堂 |
スケッチ仲間で寛いだ美味しい牡蠣の店 |
オルセイ美術館前のパリの一角 |