定年後の読書ノート
誰も書かなかったウズベキスタン・タシケント郊外―ある家族の肖像、田邊秀樹著、私家版
1990年社会主義ソ連は崩壊した。ソ連崩壊で追いつめられた人々の生活。真相は見えてこない。もし自分が自由にロシア語を話せたら、自分は是非底辺の人々のナマの声を聴いてみたい。田邊秀樹氏はそれを氏のロシア語会話力と誠実な人間性によって完全な形で手記に仕上げた。氏は大学では物理を専攻、ロシア語はほとんど独学で身につけた。JICAからモスクワ大学に留学、モスクワ駐在に続いてウズベキスタンJICA駐在員。小生、ウズベキスタン出張時には随分とお世話になった

今年1月1日より3泊4日、田邊氏は単身タシケント郊外ロシア人農家ポトゴルノフ家にホームステーし、底辺に生きるロシア人ポドゴルノフ家を構成する5人の生活をじっと見詰めた。そこにはソ連邦崩壊後、失業、離婚、生活苦そして新たな生活再建へと一人一人が起ち上がっていくたくましい生命力を見た。「さあ、起ち上がるのだ、自分達の足で!」と中央アジアウズベキスタンで生きるロシア人一家を暖かく見詰める田邊秀樹氏の視点は読む者に深い感動を与える。読後感もさわやか。

ポドゴルノフ家は1917年革命時、富裕農民として強制的にロシアから中央アジアに移住させられてきた歴史をもつ。祖母パブーリャは今もタシケント市内で1人暮し。第2次世界大戦がロシア人にとってどんなに大変だったか、それは彼女の「戦争は要らない、平和が一番」ともらす一言にも秘められている。

家父サーシャは黙々とロシア国家の忠実な国民だった。ソ連崩壊。職を無くし、白タク運転手。それすらも今では不可能になった。「ソ連は偉大だった」。ノスタルジャに浸る失業者サーシャ。妻ガーリャ。中学教師。教員給与だけではとても生活はやっていけない。多くの教師達はアルバイトで家計をやりくり。そんな教師の歪みが、教育の場でも貧富の差を拡大している。娘マーシャ。音楽大学を卒業した美女。就職難の今日、とても音楽などで食っていけない。今はレストランのウエイトレス。ロシア人の夫との間には、娘カーチャが生まれたが、失業で飲んだくれの夫とは離婚。実家に帰って娘となんとか生きていこうと頑張る。息子ミーシャ。高校卒業後、いろいろな職業に挑戦してきたが、まともに給与を支払って貰える職場なんてありゃしない。結局自宅で羊数頭をかって生きていこうとしている。しかし羊はまだ売れたことさえない。ホームステーする田邊秀樹氏、息子ミーシャの家畜作業を一緒になって手伝い、雪の大地を踏みしめる。大自然の豊かな広がりにこそ農民が生きていく源があると見つけ出していく、ここの描写はトルストイの幾つかの大作にも通じる。大地にこそ、人生を切開く力を見つけだそうとする青年に夢を見つけたい。

そんなホームステー最後の1日に、畜舎では偶然羊の生命誕生に立ち会う。羊誕生には人間は手を貸してはいけない、手を出せば羊がパニックになる。羊自身の力で新たな命を誕生させろとのオヤジの声。しかし、産み落としは難産だった。極寒の地、このままほっておけば母子共に死んでしまう。必死に熱湯で母子を助けるミーシャ。この光景を見詰めながら田邊氏は新生ウズベキスタン共和国もこの誕生と同じだと実感。この場面は、読む者に深い感動を与える。ここにも田邊氏のウズベキスタンへ注ぐ暖かいまなこを実感させる。残念ながら、田邊氏はこの手記を私家版として、極く親しい友人にのみ配布している。原文は田邊秀樹氏のもとで管理されている。

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