思えば50年も前の思い出話。
入社3年目、26歳の自分に突然合成繊維ナイロンの市場調査と技術サービスの海外出張特命が下った。台湾2W,フリッピン1W、香港1W.(1965年)昭和40年9月 まだ1ドルが360円の時代だった。独身26歳の自分には、初めてのあこがれの海外出張、毎日が感動の、緊張の、興奮の24時間だった。
「西川さん、なかなか英語が達者ですね」。あちこちの商社の人に言われた。今でこそ白状出来るが、僕の英会話なんて、強引に英単語を並べただけのはったり。相手の言うことは判った顔して聞いていたが、真実聞けていなかった。こんな自分を見抜いておられたのか、出発前専務からは、「相手の話すことが判らなかったら、とことん聞きなおせ」と忠告された。
台湾では日本びいきの友人に恵まれ、マニラではもう少しでヤミタクシーにカバン一切を奪われそうになり、香港ではあこがれのヒルトンホテルに1週間も滞在することが出来た。当時映画「慕情」大ヒットで香港ヒルトンは最高だった。
高校時代あこがれのマドンナに突然香港から香港ヒルトンの絵葉書を送った。帰国後彼女はすでに結婚していたことを知った。
毎日3ページに及ぶ紀行日誌をつけ、今も大切に保管している。出張先から本社に送った業務出張報告は「あまりにも文学的すぎて、会社として次ぎのアクション選択を迷わせた」と、重役からお小言を頂いたが、独り楽しむ紀行日誌の方は青春の夢と喜びに満ち溢れ、海外出張初体験の貴重な感動記録として50年後の今も独り読み返し楽しんでいる。