今から40年前、1972年(昭和47年)東洋紡ポリエステルフィラメント顧客であるシンガポールA&P社に、染色技術者M君と2人、6ヶ月間の技術指導に滞在した。取扱商社安宅産業の担当者は、身体の大きなナイスガイ、K氏。染色技術者M君とは、シンガポール中心街のホテルに滞在、毎日会社が手配してくれた車で、ジュロン工業地区にある合繊加工工場に出勤。
1972年当時は 合繊加工は儲かる事業として陽が当たり、製品はアメリカ・カナダ・ヨーロッパへ輸出していた。華僑系の会社であり、技術指導は英語で行い、毎週1回提出するレポートも英語で書いた。3ヶ月目頃からは、現場技術者を対象に合繊加工技術習得講習会も英語を使って開催した。6時ホテルに帰宅、2人で華やかなシンガポール中心街を夕食を摂りながら毎夜遅くまで散策した。
休日はナイスガイK氏が、資生堂化粧品女性駐在員など若い仲間を誘って、マレーシアや、シンガポールリゾートへ、遊びに連れて行ってくれた。青春の熱気が南洋で優雅に爆発した。6ヶ月間の技術指導は大いに実績を上げたとして、帰国時にはバンコック・香港・台湾でのホーリデーを東洋紡本社がわざわざ準備してくれた。まだ日本人観光客がドッと東南アジアに押しかけて来る少し前で、優雅な、豪華な、思い出深い 東南アジアトリップホリデーを楽しんだ。