定年後の読書ノートより

バングラデシュ スタディツアー に参加して、(ボランティア活動記)、伊東京子著、1999年、1月
京大経済に進んだ息子は、約束された将来を放棄して、アジア熱帯雨林NGO活動に没入。当初はどうしてもその決意には納得出来なかった。しかしそれほどまでに真剣に生きる息子を少しでも理解しようと努める過程で、やがて自分自身も、恵まれないアジアの人達に目を向けねばとボランティア活動に参加。息子への共感が、自分を動かしていると自覚していく伊東夫人のバングラ訪問記。ここには大嶽京大教授夫人のバングラ体験記とは違う人生の姿勢がある。 私にとってもボランティアとは何かを始めて真剣になって考える1文でもあった。

首都ダッカの光景

快晴の関空を正午に離陸し、シンガポールを経由して13時間後、やっとダッカ空港に降り立ちました。(現地時間は深夜23時になっていました)あ・・、やれやれ外の空気が吸えると思いきや、異様な雰囲気に目を見張ってしまいました。深夜にもかかわらず。空港の周りには大勢の群衆がつめかけ、飛行機から降立った人々をじっと見つめているのです。迎えて下さったマイクロバスで、コナバリ村のエンゼルホームまでの50分、ひどいでこぼこ道、真っ暗な沿道に立ち並ぶ粗末な小屋、小屋、所々に裸電球が灯り、人々がただ立ち尽くしている。どうしてこんな深夜に、こんな大勢の人が…・。

翌日の昼のダッカ市内、がたがた道を4人も5人も乗せて力車がひしめき、我先にと急いでいる。おんぼろバスが大勢の人を満載して、屋根の上までぎっしりで、クラクションをブーブー鳴らし続ける。街中に砂埃が舞い上がり、木々の緑もブーゲンビリアのきれいな赤もすっかり色あせてしまっている。そしてフリーマーケットの周辺の物乞いをする子供や母親達の群がり…、始めて訪れた古都ダッカの衝撃的な光景でした。同じアジアにこのような環境の下で生活している大勢の人達がいるということ、そしてこの地にエンゼル協会が根を下ろしたということに深くうなずき、その活動の計り知れないご苦労を思うと、ただただ頭の下がる思いでいっぱいになりました。

バングラデシュの子供達

エンゼルホームの子供達は実にさわやかです。私達の深夜の到着にもかかわらずみんなでにこにこと迎えてくれました。園庭で鶏をさばいておいしいカレーを作り、歓迎会まで催してくれました。男の子達は、コナバリ村のバザールへ案内、色々の食料や香辛料の説明をしながら市場を見せて歩いてくれました。帰りには一緒に力車に乗ってくれ、私達はうきうき気分で帰ってきたものです。ちょっとはにかみやさんの、でも人なつっこい女の子達、こざっぱりとした服装のサロワ・カミーズです。よく整理整頓されている自分達のお部屋に案内してくれました。私達が持っていった日本の歌をすぐ耳で覚え、オルガンに似た小さな楽器(ハーモニアンと呼んでいました)を弾き、たちまちのうちに歌えるようになりました。その音感の良さにはびっくりでした。

カバシア村で出迎えてくれた子供達、養鶏場を見て歩くとき、ぞろぞろと、前になり後ろになっての案内でした。立派に自立を遂げて頑張っている女性達は誇らしげに、笑顔いっぱいの歓迎でした。そして、いつまでも名残惜しそうに手を振ってくれました。フェニ県の新しいガールズハイスクールの竣工式では、子供達が大騒ぎで迎えてくれました。新しい学校を目の前にし、きらきらと目を輝かし、興味深々の顔つきで私達を取り囲んで言葉をかわしてくれました。

バングラの子供達のピュアーで愛くるしい眼に魅せられ、彼らから生きていく沢山のエネルギーをもらった様な充実の1週間でした。

 

(上左写真)自宅リスニングルームにて伊東ご夫妻(上右写真)伊東夫人と小生・西川

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