平成12年6月3日・津島ロータリークラブでの講演

マンチェスターの栄光と没落

(概要)数年前に、英国マンチェスターを訪問しました。かって産業革命発祥の地として繁栄し、世界の繊維産業をリードしたこの地は、今やゴーストタウン化しています。一方、マンチェスターの繊維機械メーカ・プラット社に、昭和のはじめ自動織機の特許を売った豊田は、それをきっかけにして、豊田喜一郎を中心に自動車の研究に着手し、今日の繁栄を築きました。この経過は栄生駅前の産業技術記念館に展示されています。資本主義社会は競争社会であり、「現状維持、これすなわち落伍なり」という競争原理は今も生きています。



マンチュスターの栄光と没落

西川尚武

只今ご紹介頂きました西川と申します。本日はこちら津島にも大変関係ふかい、繊維産業のこぼれ話を、イギリス・マンチェスターの歴史から、栄光と没落という多分に身につまされるようなテーマに絞りまして30分間、お話をさせて頂きたいと思います。

繊維産業の歴史は非常に古く、18世紀イギリス産業革命の主人公として、従来農家の軒先でつつましく、家内工業として続けて参りました糸と織物の生産を、一挙に工場動力を利用した鉄製機械を使って大量生産するところから始ったことは皆様良くご存知の通りです。明治のはじめ日本からも、岩倉具視等明治政府代表団をはじめ、渋沢栄一の命を受け後に東洋紡績の創設者となる山辺丈夫も、英国マンチュスターに出かけ、いろいろと紡績機械による工場大量生産方式を教えてもらい、やがて日本にも、先輩達の努力で順調に機械制繊維工業がスタートしたわけですね。明治、大正と富国強兵の国家方針にそって、日本の繊維産業は驚異的な発展をとげていったのですね。

とうとう、昭和の始め、日本の繊維産業は英国に追いつき、追い越してしまいました。世界トップの繊維王国に躍り出たのです。日本の急激な追い上げは、マンチェスターの経営者達を震え上がらせました。当時の英国の雑誌を読みますと、東洋の小国、日本恐るべしという記事が一杯載ってます。1928年東洋の小国、日本を徹底的に調査し、その強さの秘密を解明しようと、マンチェスター紡績協会専務理事、アルノ・S・ピアスと言う人を団長とする調査団が日本にやって来て、当時の日本の繊維産業を徹底的に調査しました。

その調査報告をまとめ、英国マンチェスターで発行され、当時世界的に注目されたのが、ここにある1冊の本です。題目は「cotton industry of japan & china]というタイトルがついています。ご覧の如くこの本には当時の日本の紡績工場の詳細な写真や、貴重なデータがいっぱい載っており、今では貴重な歴史文献のひとつです。

この本の結論は、今や世界繊維王国となった日本の輸出競争力のヒミツは、労働者を過酷に搾取し女工哀史による低賃金労働、ダンピング輸出ではなく、日本の技術力が英国より優れているから、日本の繊維輸出実績は伸びるのだという結論で書かれているのです。特に豊田のG型自動織機は50台の織機を1人の作業員で実稼動していると現地報告しています。

極めて良心的な調査報告ですね。第1次世界大戦後のヨーロッパでは、東洋の小国日本を見る目が次第に厳しくなって行く中で、良くぞここまで日本を弁護して書いてくれたと、感謝したくなる調査報告書です。いつかこの本を翻訳して、出版したいなあと考えたこともありました。きっと多くの方々この本の内容を知って感動なさると思います。イギリスにも立派な人がいたのですね。

さて、当時英国で大ヒットしたこの1冊の調査報告書を見て、当時世界一の繊維機械メーカ、プラット社は豊田自動織機のパテントを当時の金で100万円、現在のお金で約10億円で即時買い取る決意をします。日本の特許が海外に売れたのは、勿論明治以降始めてです。豊田はこの特許料もとにして、豊田佐吉の長男であり、当時東京大学機械工学科を卒業したばかりの豊田喜一郎を中心にして、自動車の研究に取り組むことになります。

名鉄栄生駅前に電車から見える煉瓦造りの建物、豊田産業技術記念館を開設するのが、私の定年前の仕事でした。

平成3年、私は博物館調査の為、英国マンチェスターに出かけました。マンチェスター中央駅に降り立った時、かってこの町から世界の繊維産業がスタートしたのだなと思うとすごく感動しました。しかし、マンチェスターは、いまや完全な廃虚の町と化しています。勿論かっての栄光を忍ばせる巨大な煉瓦造りの建物は今も町の中心部に堂々とそびえ建っていますが、この町は今や完全なゴーストタウンと化しています。

一方、見事に自動車産業に乗り出していった豊田はその後どうなったでしょうか。それは皆様よくご存じの如くです。では、どうしてマンチェスターと、今日の豊田とはこれほどまでに差がついてしまったのでしょうか。その一つは、経営者の競争意識の持ち方にあったと思います。資本主義とは競争に勝ち抜くことだと厳しく認識し、常に技術重視で時代に挑戦していった豊田家一族の経営に対する考え方は徹底してます豊田家というのは、驚くべき秀才ぞろいの家系で、その頭脳と情熱の勢いは今も燃え続けているとは、皆様ご存知の如くです。

しかし一方マンチェスターの経営者は、世界一の工業国という栄光を大切にし、優越意識を最後まで捨て切れなかったのですね。かって東洋紡の谷口豊三郎さんが書かれた「ランカシャの歩んだ道」という有名な本の最後には、当時のイギリス人資本家の率直な気持ちとして「私はもう疲れた。休ませてくれ」というつぶやきがこの本の最終章に書かれているのが印象的です。

勿論、追いつき、追い越せという歴史観は、明治維新の脱亜入欧を旗印とした帝国主義的歴史観であり、今日では、否定すべき歴史観です。しかし、資本主義は、今日も競争原理をその基礎にしていることには変わり有りません。「現状維持是れすなわち落伍なり」というモットーは今の社会にも歴然として生きている発展法則なのです。

最近IT革命という言葉が盛んに叫ばれています。パソコン登場により、時代の流れは激しく変化しています。この情報革命が生産現場を激変させていることは、最近のNHKスペシャル等で皆様も良くご存知の如くです。しかし、我々も、このIT革命によって、いつ何時第2のマンチェスターに没落しないとも限りません。そんな危機意識をもって、昨今のテレビ・新聞に目を通す時、もう一つの気になるニュースがあります。それは最近の高校生は理工科系コース選択に魅力を失い、ものづくりの世界に魅力を無くしているようです。 私も工学部を出た一人です。だから最近の高校生の気持ちに無関心ではいられません。

たしかに資本主義は、厳しい競争をその前提にして成り立っています。この基本原則に自らの生き方を合わせ、挑戦していった先人達が今日の日本の繁栄をもたらしてくれたことは事実であり、私達は明治・大正・そして昭和の先輩達に深く感謝しなければなりません。

しかし、最近工学部進学を自ら避け、物づくりの世界を避け、手を汚さず、優雅に、華麗に生きていこうとする高校生達が増えていることは事実です。彼らは生産現場の汗と油の騒音の中で、労働の厳しさを生き抜くより、契約社員でもよい、自分に適したささやかな職場を拠り所として、消費文化が創り出す適度な刺激と充足感に充たされたかのように感じられる毎日を過ごしていければそれで幸せではないかと考える若者達が増えてきていることは否定できません。

「一流大学に行かないと、将来食って行けないぞ」と親におどされたのは、昔のこと。世の中どこに一流大学を出ていないから、餓死をした人がいますかと彼らは主張します。

最近の若者が考えるように、世の中がつがつ働いて、出世して、その結果、家族の幸せがやっと確保出来る時代はもう終ったのは事実かもしれません。要するに、いろんな考えを持った人達がいる。いろいろな価値観を持った人達がいる。そしてお互い他人の考えを尊重し、かばい合って生きていく。それが今日のスマートな生き方なのかもしれません。

私も、心して、若者達の新しい価値観を評価しようと努めて参りました。しかし我々は今も資本主義世界の中に生きているのです。マンチェスターの栄光と没落が教えてくれている貴重なものを、すなわち資本主義の世界に生きる緊張感を放棄したとき、そこに始る過酷な後退現実を我々は過小評価していないでしょうか。かって物づくりの大切さを身をもって示してくれた諸先輩の教えを、我々はすっかり忘れてしまっているのではないでしょうか、こう考えるのは私自身の取り越し苦労でしょうか。本日は 繊維の話が、すっかり最近の若者論に移ってしまい大変失礼いたしました。 ご静聴有難うご座いました。