再び、シルクロードへご案内します(スケッチ6枚)
注目を集めているアフガニスタンの隣国ウズベキスタンに、この春JICAから出かけました。ウスベキスタン・アフガニスタンは仏教文化を伝来したシルクロードの国々です。古都サマルカンドやブハラからは国境線の向こうにアフガニスタンの山脈が輝いていました。
古都サマルカンドは緑の中にあります。中世イスラム寺院の廃虚と、町の緑とが美しく調和しています。この町では時間は静かに、ゆっくりと流れています。
混血の歴史の為でしょうか、町を行く美人の素晴らしい瞳の輝きには、今も胸高まる思いです。
ブハラのレストランの庭には樹齢1500年の桑の樹がありました。こんな大きな桑の樹なんて見たことはありません。
ここで食べた焼きたてのナンと、串焼きシャシリクが実に美味しかったこと。
ついついウオッカの量も進み、ワイワイガヤガヤ会話の声まで自然に大きくなってしまいました。
首都タシケントにあるナボイオペラ劇場。戦後ソ連に抑留された旧日本兵達が建てたロシア式歌劇場です。
かってのタシケント大地震でも崩壊しなかった出来栄えに、今や日本人の仕事の確かさを象徴する記念物としてウズベキスタンでは観光名所のひとつです。
ウズベキスタンは大の日本人びいきな国民です。
古都ブハラに今も残るイスラム寺院ミナレット。
この塔の上から、何百年間にわたって、コーランの祈りが流れてきました。古都ブハラはシルクロード隊商の宿泊基地でもありました。
かって多くのラクダ隊商がここに旅の疲れを癒していたのです。彼等こそ東洋と西洋の文化を結びつけてきたのです。
宿舎の窓から眺めた古都ブハラのミナレット。今も旧い寺院やミナレットの下では、朝早くから人々が集まりバザールが開かれています。ここシルクロードのソクド商人は、中国長安でも一流の商売上手だったと歴史文書に記されています。
朝早く起きてそんな街角をスケッチしながら散歩しました。
ブハラからタシケント間ステップ砂漠を四輪駆動車で時速100キロで走り抜けました。
人家も、人影も、行き交う車もありません。途中、岩陰に古代旅人達が彫り付けたであろうラクダ姿の落書きを幾つも発見し、昂奮しました。
アイグルクル湖岸では、砂漠に浮ぶ蜃気楼も観ました。
シルクロードの生々しい体験はいつまでも大切にしたいと思います。
当然ながら、中央アジアの平和をこそ祈らずにはいられません。
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