10月11日、朝戸を開けたら金木犀が匂った。秋がきている。そうだ!秋を存分に感じてこよう。とたんに奈良に出かけたくなった。10時には近鉄奈良駅に立っていた。
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司馬遼太郎は「街道を行く:24巻 奈良散歩」で書いておられる。「東大寺の境内には、ゆたかな自然がある。東大寺境内は風景が多様で、どの一角も他に類がない。私はこの境域がどの一角も好きである。とくに一箇所をあげよといわれれば、2月堂のあたりほどいい界隈はない。立ち止まってながめるというより、そこを通りすぎてゆくときの気分がいい。」
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奈良公園ではあちこちで金木犀が匂った。思えば高校時代の友人、伊東大作君は、奈良国立文化財研究所に勤めていた。あの当時、研究所も奈良公園の中にあった。彼の紹介で、研究所の多くの人たちとも親しくなった。その後、奈良国立文化財研究所は奈良公園から平城京跡に移転した。伊東君は仏像遺跡3次元記録の日本的権威となって国際的にも活躍した。しかしこの4月、腎不全が原因でこの世を去った。奈良を歩くと若き日の伊東君を思い出す。
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「東大寺は遣唐使帰りのいわば溜まり場だった。」(奈良散歩・200P)と司馬さんは「街道を行く」で書いておられる。今朝の新聞で、遣唐使「井真成」は、734年中国宮廷につかえていたが、36歳で死去、日本への望郷の念にかられた最後だったと報じられている。彼はこの奈良から出発し、いつかはこの奈良に帰ってくる予定だった。戦中 多くの学徒兵は出陣に際して、ここ奈良に来て、日本への別れを告げ出陣していった。青年たちは日本のふるさとをここ奈良に求めた。そして今日 奈良は深い秋の中にある。