このホームページを観て下さる貴方に有難う

今から70年前の昭和25年 小学6年生の私を長男に5人の子どもを残して、漫画家の父は胃潰瘍で突然亡くなった。父42歳、母36歳 生後10日目の末弟徳三を抱いて、母は床の中から父の出棺を見送った。葬儀は貧相なもので 近所から借りてきたリヤカーに父のお棺を載せて、小さな葬列は私を喪主に火葬場までで悲しく続いた。漫画家である父には遺族年金などはなく、父の残した30万円の貯金は父の臨終医療費、葬儀費に大半が消え、我が家はこれからどうやって暮らして行けば良いのか、小学6年生の自分にも明日の食費にさえ心を痛めずにはをおられない貧困の現実は恐怖そのものであった。

あれから70年。今年83歳、皆様喜んで下さい。このホームページは貧困に打克ち起ち上がった我が家の姿を優雅に回顧しています。 このホームページを暖かい心でご覧下さっている貴方に心より感謝し申しあげます。我が家はこうして優雅に起ち上ってきました。皆さま喜んで下さい。再帰復活の詳細は次の4つのファイルに書いてあります。ご覧下さい。

父のプロフィール  母のプロフィール  我が少年時代・青春時代  漫画で描いた僕の自分史
      


(写真は東洋紡加工技術部OB会での83歳の僕)

僕はいつも友人達にいじめられても 笑い返す度胸もなくて 困っています。

「世の中 仲の良い夫婦のどちらかが先に亡くなれば、例えば奥さんが先に亡くなったとすれば、ご主人は2〜3年以内に後を追うように亡くなられる場合が多いよね。

君は奥さまが亡くなって今年で何年になるの?。もうそろそろ20年でしょ。奥さまが亡くなられたのは2004年、その年から貴方は突然海外旅行に頻繁に出かけられるようになって、今やその回数は108回目とか。海外旅行としてはものすごい回数ではないですか?。海外旅行オタクね。それも毎回紀行スケッチに番号をつけてホームページに海外旅行スケッチ全て載せているなんて優雅だね。


お元気だから、お金持ちだから お若いからそんなに元気に海外旅行に出かけられるのでしょうけれど、普通の旦那さまなら 奥さまが亡くなった後 も
うとっくに奥さまを追いかけるように お亡くなりになられるのが普通ではないの?貴方はどうしてはそんなに長生きしているの?」・・・・・・・・・・?



僕は心の中で叫ぶ。「僕が長生きしているのは、僕の我儘ではありません。孝子が僕をすごく愛してくれていたから 今も孝子は僕を見守ってくれているのです。だから僕は元気です」




西宮、東洋紡段上社宅に住んで居た頃は、まだ新婚早々2人だけの生活だった。休日の朝は、2人の秘めた素晴らしい、甘い時間の朝だった。2人は休日はいつも朝寝坊を楽しんだ。もう太陽は部屋一杯に差し込んでいるというのに、2人は布団の中で裸でからみあっていた。楽しい思い出です。


孝子は美人で明るかった。彼女のちょっと笑を含んだ黒い目で見つめられたら、彼女をとりまいていた学生や青年諸君はきっと孝子に夢中になっていたであろうと想像する。

僕は孝子を生涯海外旅行に連れていってあげる機会は一度もなかった。自分は100回以上も海外旅行に出かけたというのに。御免なさい。孝子。

孝子が亡くなってすでに15年、ある日孝子の親友であったjさんと長電話をした。話の中で、僕は孝子とお見合いをする前、あるお嬢さんと半年程交際していて、一時は結婚も考えていたとjさんに打ち明けた。

すると、Jさんからも「孝子さんにも、西川さんとお見合いする前に好きな人がみえたのよ。その人のこと、孝子さんは気にいっていらしたわ。しかし、その方良い方なのに、大学を出ていらっしゃらなくて、ご両親があまり乗る気ではなかったの。

そんな時、偶然西川さんとのお見合い話を頂いて、ご本人同士が直ぐに気が合ってご結婚を決められたのよ」と始めて孝子の独身時代の秘話を聴いた。孝子の心の中に、かって好きな男性が存在していたと聴いたのは僕にとっては初耳であり すごいショックだった。

しかしその男性とは最後までいってしまう前に僕が登場して、結局孝子は生涯僕以外の男性を知る機会はなかった。僕たちのお見合いは際どいところでゴールイン出来たのだ。

もし、孝子とお見合いするのがもう少し遅かったら、孝子とその青年はどうなっていたのだろう。胸が苦しくなる。孝子が気にいっていた男性とはどんな男性なのか、嫉妬に似た感情が胸の内から沸き上がってくる。


「お見合いする前にお母さんにも好きな男性がいたんだって」東京の次男に告げ口した。次男は笑ながら「そんなこと、世の中当然の話、お父さん気にすることはないよ」と笑われてしまった。


孝子は生涯、夜はいつも孝子の方から求めてくれた。そして、終始一貫、「貴方 抱いて下さって有難う。嬉しかった。」と僕を持ち上げた態度を貫いた。この気持ち、この態度は生涯一度も崩すことはなかった。

孝子は臨終で目を閉じる直前「貴方、本当に長いこと有難う。お願いだからもう1度抱いて」これが孝子の人生で発した最後の言葉だった。こんな受け入れ方をしてくれる女性は孝子以外に果たして居るだろうか。僕には考えられない。有難う。孝子。



この世の最後の言葉までが臨終ベッドの上で僕を見詰めながら「貴方、長いこと、本当に有難う。お願いだからもう一度抱いて」と笑みかけてくれた。僕は目を閉じかけていく孝子をベッドで強く抱きしめながら、こんなに素晴らしく美しい女性に、愛し愛され続けた僕はなんて幸せだったろうと孝子に常に深く感謝している。

ああ、孝子は本当に素晴らしい妻だった。孝子との夢の数々、孝子はいつも明るく、綺麗で、伸び伸びとしていた。孝子、僕は孝子が大好きだ。素晴らしい、素晴らしい孝子の思い出をそっとここに綴ります。


              2018年12月4日  西川尚武( 80歳) 孝子の思い出を遺書の形で






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