定年後の読書ノートより
羽州街道―街道をゆく10―司馬遼太郎著、朝日文庫
「街道をゆく10・羽州街道」を淡々と読んでいると、昭和の奥の細道を読む感じ。勿論横には東北地図を広げて、出来ればその地の観光写真等から、回りの風景を想像しながら読み進む。先日もそうだったが、物知りのガイドさんと一緒の旅は、話題が豊富で時間の過ぎるのがまたひときわ楽しい。

この本にも、そんな話題が一杯ある。最澄と空海の話はすでに、この街道をゆくシリーズで、何度も出てきた話題のひとつではあるが、司馬さんのお好きな話なので、ここに再録する。

「最澄は天台教学の体系をすべて日本に導入するために入唐し、同時期に行った空海よりも一足さきに帰国した。ところが、当時の日本の宮廷ではまだ見ぬ密教の方に関心が高く、最澄がせっかくもたらした顕教の一大体系には関心が薄かった。最澄はごく偶然ながら密教の一部を持ち帰っていた。ただし越州の田舎密教で、体系としても不完全であり、それに最澄自身、行を充分に受けたわけではない。が、当時の宮廷は最澄の風呂敷き包みの中の密教にとりつき、最澄をたててキリスト教における洗礼とほぼ似た内容をもつ灌頂の師たらしめた。

ほどなく空海が帰ってきて、インドから長安を経由した密教の完全な体系を持ち帰り、その思想を空海の体質を通して日本的に組織化するという事態がおこり、最澄は苦境においこまれた。

最澄はそれを苦に病みつつ死んだあと、その弟子円仁が入唐して長安の青龍寺にゆき、帰国して顕教である天台宗における密教部門を確立するのであるこの意味から円仁は天台密教の祖であったといっていい」。

この歴史物語は司馬さんのお得意とするところで、東北に本当に円仁が歩いたかどうか、話はいよいよ面白くなっていく。司馬さんの話しは判り良くて、明るくて気持ちが良い。

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