定年後の読書ノートより
西川秋次の思い出、「西川秋次の思い出」編纂委員会
鶴舞古本屋店頭に山と積まれた処分本の中から300円でこの本を見つけた。非売品であるこの本が古本屋の店頭に出るのは珍しい。しかもこの本の面白さを皆様ご存知ないことが、自分にはかえって非常に興味深い。早速高級表装の分厚い1冊を一晩で読み終えた。

氏は明治14年、愛知県二川に生まれた。佐吉翁より15歳若く、利三郎氏より3歳、喜一郎氏より13歳、年長。若くして豊田佐吉翁に認められ、蔵前工業紡織科に学ぶ。佐吉翁渡米時同行、米国では2年間滞在、米国における自動織機特許権取得後帰国。豊田自動織布工場にて、佐吉翁と紡績、織布事業に参画。大正7年、佐吉翁に随行して上海に渡る。以後上海における豊田の紡織事業の先頭に立つ。昭和5年佐吉翁逝去、喜一郎氏自動車事業に進出、西川秋次氏はその後も上海にあり、事業拡大。日本敗戦を上海で迎えたが、そのまま上海に留まり、国民政府と事業継続。国民政府上海脱出の昭和24年、帰国。昭和38年、83歳で逝去。

氏の伝記書には今では聞けない秘話が一杯。佐吉翁は「西川」と呼び捨て、息子のように西川氏を可愛がった。事業立ち上がり真っ只中、西川夫妻は佐吉翁と同じ、栄生の工場敷地内に家を持ち、新婦も一緒に工場を手伝った。晩年、豊田利三郎氏夫人の愛子さんは書いている。「米国からお帰りになりましたのは、父の栄生工場時代でした。ここで奥様をお迎えになり、しばらくの間御一緒に暮しておりました。母へのアメリカ土産に金の小さな時計を下さって、母がいつも旅行の時に持っていました。今は形見として私が大切にしております。それは母のと同時に西川さんへの思い出も続きます。兄もすでに世をさり、私ひとり寂しく遠い往時を忍ぶことで御座います。これは同じ印象を持つ亡兄の代書でも御座います」。勿論ここにある兄とは豊田喜一郎氏のことである。

西川氏が何故敗戦後、そのまま中国に残ったのか。西川氏は佐吉翁の中国への恩返し論を述べている。国民政府要人と西川氏のつながりは、すでに戦前からかなり深い。氏は戦中、上海民間領事ともうわさされ、宇垣外相の対国民政府和平工作にも関連していたようだし、上海特務機関との秘話もこの本からも幾つか伺える。氏は生前、中国で失った在外資産は3兆円ともらしている。試みに氏の上海での住居跡はいま米国大使館公邸になっている。

今は亡き、現在の豊田を築いた先輩達や関係者の、西川秋次氏を忍ぶ思い出話も、今ではひとことひとことが、日本の資本主義成立史ともつながって興味深い。

古本街を歩いていると、時々こんな大発見にも巡り会えるのです。

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