定年後の読書ノートより (HPアドレス:www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/)
音の世界、野川紀夫著、「民主文学」1955年10月号掲載(130枚)
テープが流れ始める。1976年3月16日、解雇通知は強引だった。「テープを持ち込むな」人事課の威圧的な声。「どうしてこのテープレコーダーがあると困るのか、その理由を知りたいです」主人公は執拗に食い下がる。会社側は巧妙な組合幹部抱き込み工作の後、強引に活動家指名解雇に襲い掛かってきた。

呆然と一人屋上に立つ主人公。このフェンスの向こうに身をおどらせさえすれば、ここに来るまでに起ったことの全てが、もう一度白紙に戻りそうな予感さえする。「明日からどうする」。不安な足取りで家に帰る。駆け寄ってくる子供達。「どうだった、会社のほう?」妻が聞く。「悪い事は言わん。すぐに就職先を捜せ。この際だから、お前に合った、やりたい仕事を真剣に探して見ろ。お前はいま、目の前のことしか見ちゃいない。俺は俺なりに、もう少しだけ全体を見て、お前のことを考えているつもりだ。な、そうしろよ…」と兄。

翌朝、門にはすでに人事担当者が待ち構え、一歩も会社内には入れさせようとしなかった。かっての職場の仲間達の冷たい視線と無言の後ろ姿。「労働組合が合意しているからしょうがないや」と彼等の声。しかし闘いは一人ではなかった。後藤を中心とする仲間達は直ちに行動を開始した。解雇者を集めて弁護士を囲んだ。しかし、家庭のローンを抱え、これから5年も10年も裁判闘争を続けられるのか。決して事情は簡単ではなかった。マスコミも取材にやってきた。

街頭宣伝車も準備した。「大隈鉄工の不当解雇を許すな」。大きく掲げたスローガンの文字は「お前達が正義だ!」と叫んでいるように見える。後藤は仲間たちの事務所の為にとローンを背負い込んで建売住宅を買うという。「そうだ。闘いはこれからだ」。仲間達の間に何となく未来を確信する明るい空気が流れ始める。作品は、闘いへの決意と、仲間達の同志愛がひしひしと伝わってくる明るい雰囲気の中で終わる。作者は登場人物全てに実名を使っている。

大隈闘争はその後16年間続いた。作品中のリーダ後藤氏こそ、「マンガで仕上げた自分史」に登場する安保闘争を一緒に闘った学生時代の友人。この度何十年振りで後藤氏と出会い、大学卒業後、後藤氏が歩んだ40年の人生をじっくりと伺った。上記ノンフィクションは後藤氏と一緒に不当解雇闘争を16年間闘った仲間の一人が書いた作品。その同じ40年間を自分は大企業に勤めるエリートサラリーマンとして只ひたすらに、平穏無事な毎日だけを腐心してきただけではなかったか。いや、自分だけではない。今やリストラの嵐吹きまくる中間管理職全てのサラリーマンは、只明日への不安におびえ、職場の民主主義を真剣に考えることもなく、自分と家族の安泰だけを必死に守ろうとしている。しかし、職場の中には、職場の民主主義を求め、自己の犠牲をもかえりみず、闘う人生を選んだ人達もいる。全ては一度だけの人生、如何に生きるべきか、その生き方の選択からスタートしている。追いつめられたリストラ対象者の自殺者は今や3万人を超すという。交通事故の倍の死亡者が我々に訴えている願いは何か。働く現場に民主主義をと、起ち上がって闘う人達の一人である後藤氏の40年を伺い、勇気ある生き方に感動し、秋の緑地公園、芝生の向こうに、揺れ動くアドバルーンを眺めながら大きくため息をついた。

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