定年後の読書ノートより
日韓併合小史、山辺健太郎著、岩波新書
韓国へはすでに何十回と出かけたことがあり、この度の南北首脳会談成立に心から祝福を贈る一人です。韓国国民の日本に対する怨念は、韓国の偏向教育に起因すると主張する自民党先生もいるが、そんなに生易しいものではない。第2次世界大戦後まで、韓国では朝鮮史の授業は持てなかったという。この本は1876年朝鮮が江華島条約を結んで開国いてから、1910年日本に併合されるまでの歴史を書いたものである。

日韓併合を強引に進めた伊藤博文は、1904年、その最初の行動は日韓協約締結であった。この条約成立は、朝鮮民衆には全然知らされなかった。条約当日、ソウルは物々しい警戒体制下にあった。王宮の前で自殺し、自らの怒りを表した政府指導者は10人に及ぶ。韓国皇帝は彼等を手厚く葬った。やがて日本はこんな李王を許さなかった。

政府指導者は、アメリカ、スランス、イギリス、に密使を送り、日本の政府を糾弾した。しかし、小国の訴えは無視されたどころか、その詳細な行動は、すべて日本に報告さ、日本はこれら裏工作を工作した韓国皇帝そのものを、譲位させた。

日本が朝鮮を保護下においた当時は、日本と米英との間には激しい利害対立はなく、むしろロシア南下に対抗するため、日本の朝鮮支配を黙認していた。イギリスは日英同盟を結んでいたので、積極的に日本を支持した。

半植民地化した中国および植民地化した朝鮮では、近代化の力が帝国主義によっておしつぶされ、停滞せしめられた。これに対し、義和団の乱を契機に帝国主義陣営に加わった日本では、民主化の側面はおさえられ、封建遺制と軍国主義の側面が強化され、近代化の力は早熟的に帝国主義化するという方向に進み、日本と中国・朝鮮とは敵対的な立場にたつことになった。日本がアジアのなかで唯一の帝国主義国となったのは、欧米帝国主義をして、アジア人をしてアジア分割の先頭に立たせることを必要とさせた。そしてこの要求をつかみ利用するこtで、日本は20世紀初頭には、米英への従属的性格をもったまま帝国主義となったのである。

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