定年後の読書ノートより
日本資本主義の形成者、東畑精一著、岩波新書
「マンチェスターの栄光と没落」は好評で、いろいろな方から声がかかる。そんなある日、古本屋で、もうすっかり黒くなったこの本を見つけた。テーマは「マンチェスターの栄光と没落」に通じている。本を開いてみると、こんな文章が目に飛び込んできた。

資本主義の本格的な歴史は、自転車から自動車へ、自動車からさらに飛行機へという具合に、つねに質的な変化、新しい創造物、非連続的な跳躍を重ねてやまないところを生命とする。発展なく、質的拡大のない単純再生産は、およそ資本主義とは矛盾する。かかる発展によって、自転車に安住しているものは自動車によって代替されていく。停滞の意味での安定、安住はありえない。

これはまさに「現状維持これすなわち落伍なり」とした小生の論理と表現まで同じだ。

こんな文章内容が気に入ってこの本を読んだ。明治維新、日本は西欧に猛烈なスピードで追いついた。このエネルギーを東畑さんは、明治維新で大量失業した武士の果敢な挑戦姿勢に注目し、これを高く評価ている。著者は富国強兵、殖産興業を進めた明治官僚の指導力の確かさも評価している。日本の産業革命は国営であったと著者はいう。経済の実践に携わった英米的頭脳と経済政策を司ったドイツ的頭脳との食い違いは、日本の近代史の中で注目すべきテーマだと著者はいう。日本の軽工業の特色は経済活動的才覚がものをいった、例えば日本の紡績は安価な原綿を混紡技術でカバーした。しかし軽工業から重工業に移行するにしたがって、技術に学問が必要重視される。日本の教育は、実業と学理が乖離し、重工業確立には教育の再構築が必要だと東畑さんは主張する。

資本主義の生命は、絶えざる革新、上昇、膨張にある。これに突進していくところにその脈動がある。しからばこの場合の勤勉とは何か。人々が働き、努力してやまないとは何か。創造的勤勉こそ資本主義の生命であると著者は力説する。

この本を司馬遼太郎氏もきっと興味深く読んでいたに違いない。司馬史観といわれる土壌とどこか通ずるものがある。すでに40年前の岩波新書は古本である。寝転がって読み終ったとき、身体のあちこちが無性にかゆくなってきた。古本には何十年、隠れていた蟲達がいて、突然ページを開いた妙な進入者に猛然と襲い掛かってくるのだろう。この全身のかゆみは、古本愛好者の忍ばねばならぬ苦痛みたいなものである。

ここをクリックすると読書目次に戻ります